自治会 沿革

東柏ケ谷四丁目自治会の沿革

2021(令和3)年3月改訂

戦前

この地は、1943(昭和18)年に、現在の厚木基地の前進である【相模野海軍航空隊(厚木戦闘機隊)】の【高座海軍工廠(航空兵器製造工場)】として、30万坪の用地・工員3万人・生産6,000機の計画が座間市と海老名市にまたがり計画されました。
そして、12歳から19歳の優秀な少年約8,000人が大和市を中心に暮らしていました。
更に知りたい方は 0462.net の まめこぞうの旅 座間の歴史探検 または 大和市ホームページ をご覧下さい。
高座海軍工廠のページは他にも多数あります。

終戦直後

食糧難を解消するために1948(昭和23)年、現在の東柏ケ谷三丁目・四丁目に30世帯が入植し【高座開拓組合】を結成し農業を始めました。当時は、高座郡海老名町柏ヶ谷字大道付19XX番地の表示で、大道付(おおみつけ)は電柱や公園の名称に今でも活きています。
現在の5丁目・6丁目に【晴耕開拓組合】、大綾瀬市大上にもうひとつの開拓組合がありました。
といっても、農業機械の無い時代に工場跡地を開墾(畑にする)にはコンクリートを剥がし砂利をすて耕すという大変な重労働で農具(リヤカー、つるはし、スコップ、鍬)も消耗が激しく、頓挫する世帯も数件あったようです。

農業に灌水は欠かせません。
1948(昭和23)年から1963(昭和38)年の足かけ16年をかけて、相模原から藤沢・綾瀬までの台地上に、食糧増産、畑作農業の経営安定化・収量増加を狙って作られた農業用水路。
しかしながら、昭和30年代に入り、都市化や工業化の波にのまれ、竣工とほぼ同時に使われなくなった悲しい歴史を持つのが、さがみ野駅南北(座間と東柏ケ谷)にまたがる【さくら並木】の歴史・名残です。

四丁目自治会の誕生

1977(昭和52)年5月に住居表示変更に伴い、今までの自治会(現3丁目と4丁目合同)が解散し、各々で自治会が発足しました。
しかしそれ以前も【高座開拓組合】組合事務所を自治会活動の拠点として借用していましたので、新自治会の要望、【高座開拓組合】の解散話もあり、組合事務所用地(現3丁目自治会館からさがみ野診療所までの約300坪)を2分して、各々の自治会集会所が必要であろうと組合員の方々からの声もあり、四丁目自治会館の用地150坪が確保されました。
東柏ケ谷小学校への通学路(中村屋と旧東洋電機の間の細道)も高座開拓組合員の志で寄付された土地が当てられました。

四丁目自治会の建設

1978(昭和53)年7月に【東柏ケ谷四丁目自治会館】建設、2008(平成20)年10月に大道付第二公園内に【ふれあい館】を竣工、2014(平成26)年12月に二代目【東柏ケ谷四丁目自治会館】が竣工され現在に至っています。
当時は433世帯でしたが、1,353世帯(2021年3月現在)となり、3倍超えです。
少子高齢化への対応策が求められていることは当然のことでしょう。

初代自治会館 1978(昭和53)年7月竣工


住所:海老名市東柏ケ谷4-22-5
◎面積 土地:495m²(150.0坪) 建物(木造平屋建):112.2m²(34.0坪)

※広場が広く、道路を占有して全ての行事をこなしていた。
※建設当時の世帯数は433戸。

ふれあい館(おおつけ第二公園内) 2008(平成20)年10月竣工


住所:海老名市東柏ケ谷4-6-20
◎面積 土地:100.7m²(30.5坪) 建物(木造平屋建):58.0m²(17.6坪)

※四丁目夏祭りの会場。
※一時避難所に指定。
※2004(平成16)年に東洋電機跡地にドリームシティ199戸建と3か所の公園が建設された。《開発業者提供の集会所建設用地を活用し建設》

二代目自治会館 2014(平成26)年12月竣工


住所:海老名市東柏ケ谷4-22-5
◎面積 土地:495m²(150.0坪) 建物(木造平屋建):130m²(39.4坪)

※夏祭り以外の全ての行事を行う。
  • 自主防災訓練
  • 四丁目盆踊り大会
  • どんど焼き
※一時避難所に指定。

その他特徴

準工業地帯であったため、寄付や開発行為提供公園が多くあります。
現在、いちご広場207.74m²(63.0坪)、大道付児童遊園830.56m²(251.7坪)、大道付第二公園963.04m²(291.8坪)、第三公園392.26m²(118.9坪)、第四公園322.10m²(97.6坪) 計5か所、合計2,715.701m²(823坪) があります。